会社情報

その味のやさしさは、働くひとのやさしさ。

会社名 有限会社 あぜち食品
住所 〒781-5102 高知市大津甲595-6
TEL 088-866-5453
FAX 088-866-8385
創業 昭和51年1月
設立 昭和60年4月5日
事業内容 ポップコーンの製造、珍味、豆菓子の販売、一般菓子の販売
資本金 500万円
主要製品
  • マックシュガーコーン
  • 花きび
  • ポップコーン
  • さきいか等海産珍味
  • ピーナッツ
  • イカリ豆
  • 柿ピーなど豆菓子
  • 出し昆布
  • 若布などの乾物等
主要取引先
  • (株)エースワン
  • (株)サンシャインチェーン本部
  • (株)サンプラザ
  • (株)サニーマート
  • (株)ナンコクスーパー
  • (株)JA全農高知
  • (株)佐野屋
  • (株)よどや
  • リカオー(株)
  • 高知県下各量販店
  • 旭食品(株)
  • (株)高山

こんにちは。私は高知県高知市にある小さな食品製造卸会社、あぜち食品の和田しほこと申します。
弊社は昭和51年に父が脱サラし、市場に乾物を仕入れ、小さい商店などに卸したのが始まりです。

当時、歯科衛生士をしていた母は、父のお給料と自分のお給料があれば何とか生活ができそう・・・と思っていたにも関わらず、ある日、待ち合わせ場所に満面の笑みで小銭をジャラジャラ言わせながら現れた父から、
「仕事を辞めた!今日からこれで食っていく!」
と断言され、途方にくれたそう・・・。

狭いアパートに軽のトラック、そこからあぜち食品はスタートしました。
乾物から始まり、さきいか、豆菓子と少しずつ商品を増やしていき、得意先も少しずつ増え、一軒家に拠点を移します。

そして、当時は絶対に無理だと思われた、スーパーにも陳列してもらえるようになり、気づくと高知県内の酒店、スーパーに弊社商品が陳列されるほどに・・・。
一軒家でも手狭になった昭和60年、現在の地に拠点を移し、「有限会社あぜち食品」として法人化しました。

会社を立ち上げて、色々苦労しながら昼も夜もなく必死に働き、これからという時の昭和63年11月13日、母が家で妹の七五三の準備をしていたとき、会社は屋根裏からの漏電で全てが焼け落ちてしまいました。

あの時の父、母、従業員達の顔を、小学6年生だった私は今でもはっきりと覚えています。
本当だったら絶望してもおかしくない状況で、誰もが前向きに、復旧にかかったのです。
皆の顔は、絶望的な表情ではなく、「こんなことで負けてたまるか!やってやる!!」そんな顔をしていました。

すぐに仮倉庫を作ってもらい、2週間後には得意先に納品できるまでに・・・。
このときの火災があったから、母は腹をくくり、肝が据わった人間になったのかもしれません。
(誰からも「おかあちゃん」と慕われ、肝っ玉母ちゃん"まんま"です^^)

そして、火災から3年後、今の社屋が完成しました。
社屋が出来て5年後に、私が入社。
入社して1年、平成10年9月24日、次は高知を襲ったゲリラ豪雨。一晩で1000ミリを超す豪雨が高知を襲いました。
この豪雨は弊社がある大津が特に被害が大きく、会社も床上110センチ浸水、PC、車6台、1階に置いてあった商品、全てが廃棄処分に・・・。
しかし、一度火災を経験しているからか、「なにくそー!こんなことで負けるもんか!!」と、1ヶ月で完全復興。

火事、水害と色々な困難があったけれど、皆で協力し、得意先さまにも信頼してもらえるよう、コツコツ地道に卸していました。

そんなとき、あぜちに運命的な出会いが・・・。
平成15年10月中旬。
母が資材メーカー関株式会社の担当Nさんと世間話をしていたときのこと。

関さん「高知市泰(はだ)にある久保田商会さんが廃業するがやと。
    映画館も次々閉館していくし、会長も年がいって、しんどくなったらしいよ。
    シュガーコーンや花きびも無くなるがやねぇ。」
母  「もったいないねぇ・・・寂しいねぇ・・・。高知の味がなくなるなんて・・・」

関さんが帰った後も、珍味の封をしながら、悶々としていた母。
「やっぱりもったいない!!無くすくらいならうちがやる!!!」
母はすぐに父に電話して相談。
父もよっしゃ!と、久保田会長に電話をし、関さんと話した2時間後には久保田商会で話をし、その日の夜、久保田会長よりお願いしますの返事をもらいました。
それから2週間で、駐車場だった場所をポップコーンの工場にし、平成15年11月3日、マックのポップコーンはあぜち食品で新たなスタートを切りました。

ポップコーンの製造を始めて約10年。
想像した以上に大変だったポップコーン業務。
夏は灼熱地獄、砂糖が絡まった不発弾は狙ったかのように頬やまぶたに飛んできて、水ぶくれ・・・。
暑くて、熱くて、痛い・・・。
持っている杓文字を壁に投げつけたいくらい痛くて、痛くて・・・。
でも、グッとこらえて、手作りにこだわり、昔から愛されている味を変えないよう、消えそうになったこの味をもう絶対に消さないよう皆で頑張っています。

マックのシュガーコーンは、50代60代の方たちに「青春の味ながよ!」なんて、言われるんですよ。
この方達にとって、高校生や大学生、20代だった頃、当時の一番の娯楽は映画館へ映画を見に行くことでした。
まだDVDもビデオも無い時代・・・。
映画館で甘いシュガーコーンを当時の彼女と、彼氏と映画を見ながら分け合って食べていたのを思い出すんだとか・・・。
飽きっぽい人が多い高知で、半世紀も愛されているお菓子って本当に少ないんです。

そして、「この味を日本全国の人に知ってもらいたい!」との想いで2006年、インターネットでの販売を始めました。
最初は弊社の主力商品である“マックのシュガーコーン”を製造して販売していましたが、いつしかホームページを通じて「ポップコーンをOEM製造して欲しい」という要望を受けるようになり、次第にオリジナルのポップコーンを作る仕事が増えていきました。

現在は、イベント会社からのノベルティや、サービスエリア等からのご当地ポップコーンのPB商品製造まで、様々なポップコーンをお客様のご要望にあわせて作っています。
年間で約30トンのポップコーンを製造販売しており、少ない従業員でてんやわんやの日々を送っております。
そんな中でも、要望通りのオリジナルのポップコーンができた時は、お客様と一緒に喜びが分かち合えるので、この仕事にやりがいを感じています。

私と母と妹の3人を中心にポップコーン事業を運営していますので、女性目線、主婦目線で商品を作ることには自信があります。

小さい会社ですが、その分、フットワークよく、出来るだけ細かい要望に応えられるよう頑張ります。
ぜひ、オリジナルポップコーンを作る際は、弊社にご依頼いただければと思います。